2011年9月12日(月) 晴れ
ボランティア場所 岩手県大槌町・釜石市
東北遠征2日目は、大槌町と釜石市でボランティアをした。
盛岡市から釜石市を経て大槌町に入るのだが、海岸沿いに近づくに連れて景色が一変した。釜石市に入ると
信じがたい光景が目の前に広がり、呆然となった。言葉で表現しようにも言葉が見つからない。やっとの思いで
口から出た言葉は「酷い」「酷すぎる」。震災から半年が経って瓦礫も殆ど撤去されてはいるが、見るも無残だった。
残った建物は焼け焦げ、津波が襲ったと思われる部分は空洞になっていた。中でも、大槌町はテレビが伝えていたように
町全体が無くなっていた。山側の墓地の高台で、やっとのことで逃げてきた住民達は、町の様子をただ呆然と眺め、我に返った
時、津波に呑まれた家族や友人のことを思って泣き叫んだそうだ。
そのことを聞いて想像しただけでも、胸が張り裂けそうになった。今では、震災直後の瓦礫のあった場所には、雑草が生い茂り、
建物の基礎部分だけが境界線を引いていた。
本当にこの町は甦るのだろうか・・・。また、人々が戻って活気付くのだろうか・・・。それとも、このまま町が無くなるのか・・・。
いや、このままじゃいけない!
壊滅的な被害を受けた大槌町 大槌小学校
屋上から助けを求めていた「県立大槌病院」
町長さんをはじめ多くの職員を亡くされた「大槌町役場」
壁が剥がされ断熱材が無残な姿で現れていた 1階・2階はメチャメチャに
津波と火災で見るも無残な姿になった建物
家屋の基礎の部分もねこぞぎ持って行かれていた
以前は住宅が立ち並んでいたであろう
元の姿に戻したい
二 大槌中学校
海岸から遠く離れているこの中学校は、二階まで津波が来て多くのものを呑み込んで行ったようだ。
男子トイレ 手洗い場
体育館 残された椅子
横断歩道の標識もこんな風 この先の山の麓まで水が来たらしい。この辺りで2mの高さだったらしい
運動場に置かれた原型を留めていない車
この車に乗っていた人は助かっただろうか・・・
ボランティア受付場所 ボランティアの人にはこのシールを貼ってもらう
ヘドロが溜まって悪臭を放つ川 有害物質の可能性があるので調査中
川底に溜まったヘドロを取り出す作業 土嚢袋に入れて
他にもボランティアの人達が 川の水は長時間漬かっていられないくらいの冷たさ
微力だが、多くは出来なかったが、それなりに頑張った
被災された元漁師の方と飼い犬の「さくらちゃん」
仮設住宅に住むこの方は、漁師をやっていて地震当日も漁に出ていたそうだ。いつもなら、船が着くと飛んでくるのにこの日に
限って高台にいて盛んに吠え「早く逃げて、津波が来るよ」と教えているようだったと話していた。犬に導かれるように津波から
逃げ助かったそうだ。
釜石市の被災地 ここは今でも、潮が満ちると膝下まで浸水するそうだ
上の写真の場所で飲食店を経営されていた盛岡労山の女性会員の方は、震災当日、妹さんと店にいて被災されたそうだ。
残念なことに妹さんは、目の前で津波に呑み込まれ亡くなったそうだ。その時の様子を話して下さるのだが、すぐに涙が浮かんで
詳しいことは聞くことができなかった。でも、気丈にもまたお店を再開させると約束してくれた。東北の方の強い気持ちに私達の方が
勇気付けられたような気がする。本当に何にもなくなった、全て無くなった被災地。私達は、同じ日本人として自分のことのように
考え、いつまでも手を差し伸べ、応援しなければいけないと心の底から思い知らされた。「天を恨まず・・・」と、卒業式で述べた中学生
の言葉に私達も励まされ、みんなで一緒に東北の復興を応援しよう!どんな形であっても!
I believe 東北 and this country, Japan can do it !